”さるなしさん”に会いに行く。地域おこし協力隊とめぐる玉川村

青砥 和希 大人

ふくしまの空の玄関口

「さるなし、食べにきてください」
そう誘われて、白河市から車を走らせること40分。

待ち合わせたのは石川郡玉川村にある福島空港。ここから離発着する定期便は1日10便、小さなローカル空港だ。

「今日はめちゃめちゃ晴れてます」

せっかく空港で待ち合わせたので、展望デッキに上がってみる。偶然、伊丹行きのANA機が離陸の準備をしているところだった。福島空港からの離陸便は1日5便しかないので、朝から幸先がいい。淡い空の青と芝生の緑に、トリトンブルーがよく映えた。

「普段はあんまりこないですけどねー。でも玉川村では、伊丹空港のある豊中市と相互交流していたり、村内の中学二年生が参加する国内研修事業では必ず飛行機を使います」

滑走路から吹きすさぶ風にもめげず、荻野さんが教えてくれた。短い髪は強風でもへっちゃら。

ここは中通り、阿武隈川と阿武隈高地西端の間にある玉川村。離島をのぞけば、村に空港があるのは日本でここだけ。飛行機を使えば大阪・札幌から1時間30分で来村可。福島県内なら、福島いわき会津若松、どの都市からもあぶくま高原道路を使うと便利だ。

あなた…だれ…? これは…なに…?

新潟県出身の荻野育恵さんは、玉川村地域おこし協力隊。大学に入ってからはずっと東京で暮らしていて、2015年から玉川村に移住。地域おこし協力隊として活動している。

「よく名前間違えられるんですよ。荻野じゃなくて萩野とか」「他にはさるなしさん、とか呼ばれたり」

そう、ハギノ…じゃなかったオギノさんのミッションは、玉川村特産のさるなしをPRをすること。さるなしって、なんだろう。

「猿が大好きで、木になっている実がすぐ無くなるくらい食べちゃうから、さるなしです」
昔の人は”こくわ”と、英語圏では”baby kiwi”と呼ばれたりするフルーツ、さるなし。確かに、実を切って並べてみると、それは小さなキウイのよう。

玉川村は耕作放棄地対策のひとつとして、1996年頃からさるなしを特産品にしようと村をあげて取り組んでいて、いまは村全体で年間約20トンが収穫できるという。

荻野さんの特技は絵を書くこと

「村外ではさるなしの話ばっかりしているんで、よくさるなしさんと言われるんです…でもまあ、さるなしを知ってもらえばそれでいいかなとは思うんですけど」

たしかに、さるなしって正直食べたことがない。スーパーに売っているのも見たことがない…せっかく玉川村に来たので、さるなしを食べねば。

さっそく荻野さんとさるなしの植えられている畑へ。

ゆるやかな斜面に植えられたさるなしの木。10月初旬のこの時期は、旬の最後の時期。畑全体に実がいっぱい、ということではなかったが、枝によっては小さな実がいくつもなっていた。

「栽培は難しくはないんだ。肥料や農薬もそんなに使わねえし、経費はあまりかからないね」

農家の佐久間勝さんは、さるなしの栽培をはじめて8年くらい。

さるなしは、一度植えればずっと育てられる。では、なにが課題かといえば、食べるのに適した、完熟の状態の短さにある。
さるなしの特徴は甘みと酸味。ジュースやジャムなど甘味に加工されることが多い。福島空港のレストラン「シャロン」ではドレッシングとしても使われている。村内の「道の駅こぶしの里」でも、ドレッシングやさるなしバターが売っている。

ただ、熟した状態から日持ちがしない。枝になっている状態で熟させ、外皮がしわしわになった状態で食べれば、甘みと酸味が共存したおいしさがそのまま楽しめる。

日持ちをさせるために、熟してからの運送は基本的にしていない。追熟させてから食べてもらうため、硬い状態で発送する。けれど、あまりに硬い時期だとえぐみがすごくて食べられない。
さるなしを見慣れない消費者には追熟加減の判断が難しく、美味しくない時期に食べて嫌いになってしまうこともあるとか。 一方で、固いうちは見た目もいいけれど、追熟していくにつれて見た目も悪くなり、完熟は美味しいけど、手に取ってもらえない…という悩みも。

新鮮なまま食べると実においしいのに、冷凍したり、加工したりしないと流通させることが難しい。

「道の駅こぶしの里の他にも、石川町の直売所でも販売してます。農協(JA)の郡山市場にも卸しますけれど、まだまだ販路が拡大できなくて、生産量に対してあまり気味ですね」

「糖度が高いから、そのままワインにするとかなり美味しいとも言うけど、まだワインも加工が始まったばっかりで」

と玉川さるなし生産組合会長も務める佐久間さん。

玉川村に行けばいつでも手に入るさるなしには、まだまだ課題が山積している。だから、地域おこし協力隊・荻野さんのミッションは、もっともっとさるなしを知ってもらい、もっともっとさるなしファンを増やすこと。

玉川村人、荻野さん

村内を縦断する国道118号線沿いのレストラン「ボン・マルシェ」で腹ごしらえしながら話を聞く。

ハンバーグナポリタン。玉川村はナポリンタンを出す店が多いとか。

「さるなし、本当においしいんですけどね」
「でも、やっぱり甘酸っぱい味と、日持ちと、さるなしの綺麗な緑色が共存しなくて」

流通というのは難しくて、需要がなくても、旬が合わなくても、運送ができなくても、あるいは姿形が合わなくても、売れないものは売れない。すべての条件が合致するニーズがあるとは限らない。

加工すれば日持ちするので、まずは煮詰めてみるのだが、煮詰めてすぐのさるなしは、本当に綺麗な緑色。でも、時間がわずかでも経つと、にぶい色になってしまう。

左が煮詰めてすぐのさるなし。右が煮詰めて少し時間が経った状態

一般に、果実の色を煮詰めてからもキープするには、ビタミンC(レモンの果汁)を添加したり、グラニュー糖を使う。が、それでもにぶい色に変化してしまうさるなし。

課題はまだまだあるけれど、そもそも荻野さんがさるなしの魅力に出会ったのはいつなのだろう。

「協力隊になって、玉川村に来てからはじめて、さるなしを食べました」
都内の一般企業で営業職などに従事していた荻野さんは、2015年の春に玉川村に来た。もともと、祖母が郡山市に住んでいて、福島に住んでみたいと思っていたという。

「いずれは福島にいきたい…とは思っていて。福島県内に地域おこし協力隊の募集があったので、やらずに後悔するならやってみよう!という気持ちになりました」
玉川村に来てすぐはおそるおそる。村中歩き回ったり、道の駅のお手伝いしたり、手書きの新聞(山鳩新聞)を書いたりして、まずは村の人に存在を知ってもらおうとしたという。

 


さるなしを筆頭に、玉川ライフを楽しむ荻野さん。姉妹都市の台湾南投縣鹿谷郷の烏龍茶を使ったお茶会をしたり、村のイベントにことごとく参加したり。
ライターの私には村のことすべてはわからないが、荻野村人のいる村なら、生活するのも楽しそう。

好きな場所に連れてってもらった

腹ごしらえも済んだし、さるなしも見せてもらったので、村の奥地に行ってみる。


いきなり高規格道路のあぶくま高原道路に乗る。村内のインターチェンジ間は無料区間。空港といい、なにかとスケールが大きい玉川村。

村の東部・須釜地区にある四辻分校は廃校になった木造の小学校。いまは集落のお祭りなどに使われている。

「ここももっと使えたらいいですよね。春は校庭の桜が咲いてお花見もできます」

集落の小高い丘の上に立つ四辻分校。

車を走らせてもらって、もっと奥に行ってみる。

夏はハイキングができる東野の清流。真夏でも涼しい癒しの空間。湧水もある。


ダムが好きな編集長のリクエストで、石川町境にある母畑湖へ。


福島空港公園の地球科学エリア。公園は広大な敷地に個性豊かな3エリアがある。

福島空港の誘導灯。荻野さんはこれを見ると、玉川にいるなあと思うのだそう。

そんな荻野さんの今後の目標は、2017年7月に開催される「第1回全国さるなしサミット」を成功させること。さるなしを栽培する地域(新潟や山形等)の関係者が集まって、さるなしの知名度アップ、PR活動、情報交換会を玉川で開くという。

さるなしさんに、いや荻野さんに会いに、また玉川村にいってみよう。

荻野育恵(Ogino Ikue)

玉川村地域おこし協力隊


1986年新潟県生まれ。2015年4月から現職。
さるなしPRだけでなく、「玉川村のファンづくり」をモットーに、情報発信を行っている。移住決意のもうひとつの理由は、福島在住バンドのおっかけをしすぎて友達に「いつ福島に引っ越してくるの?」と言われたから。写真は四辻分校校長室にて校長になったつもりの荻野さん。
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