「かわいいと言われることで、この文化を残るものにしたい」白河だるま総本舗14代目・渡邊高章さん

ゆうな

ゆうな 高校生
ゆうな
白河だるま総本舗の14代目である渡邉高章さん。白河高校を卒業後、体育の教師を目指して教員免許を取得しましたが、大学時代の東京での経験やとあるきっかけから、白河だるまの魅力を伝えるために14代目として新しいことに挑戦しています。いままでのだるまの概念を覆し、さまざまなかわいいだるまを製作している渡邊さんにインタビューを行いました。

 

 

白河だるまは、なぜ作られた?

ゆうな
白河だるまは、そもそもなんのために作られたものなんですか?
渡邊さん
うん、憶測にはなるんだけど、これじゃないか、というものはあるね。なぜ作られたか、なにか思いつく?

渡辺だるまウェブサイトより。 白河だるま。松竹梅鶴亀、5つの縁起物がすべて顔に描かれていて、日本一上品なだるまと言われている

 

 

ゆうな
うーん…(汗)
渡邊さん
うん、だるまっていうのは、ふなっしーや、くまもん、しらかわんと一緒。まちおこしのために作られたと考えています。
1750年から60年代、江戸時代に飢饉が起こり、藩が苦しんだ。その復興のために、新しいまちをつくる、その象徴としてだるまが生まれた。憶測ですが、これがだるまが作られた理由だと考えています。
白河のだるまは、絵師の谷文晁、いまでいうデザイナーに、その頃の白河藩主・松平定信が依頼して作られました。

 

 

しらかわんやふなっしーと、作られた理由は一緒!

 

 

だるま作りって、何が楽しいの?

ゆうな
なるほど…だるまを作っていて、楽しいことや、つらいことって、ありますか?
渡邊さん
楽しいとかつらいとか、そう思って作っているわけではないですね。感情は特にもっていないです。ただ、「伝統に守られているだけ」という状態は嫌です。若い人に「だるまってかわいいよね」と思われることで、この文化を残るものにしたい。そう思いながら作っています。だから楽しいときは「新しいものを考えるとき」。あるいは「古いものにぶつかるとき」。そういうときが楽しいです。
ゆうな
新しいものを考えるって、具体的にはどのようなものですか?
渡邊さん
例えば、だるまの原料は紙です。原料が紙で、かつ自分たちの技術でつくれるもの。そして、だるまではない、別のもの。そういったものを考えようとしています。例えば、干支の置物。これは毎年作っています。だるまではないですが、原料は紙で、そして私たちの技術でつくれるものです。いまは、空前の猫ブームとも言われているので、猫をモチーフになにか作れないか、様子見をしています。

 

 

毎年作っているという干支の置物。

 

ゆうな
最近の自信作って、なにかありますか?
渡邊さん
自信作か…みんな、LINEってつかってますか?

 

 

 

ゆうな
つかってます。
もえ
つかってます。

 

渡邊さん
若者みんながつかっているLINEとコラボレーションしたのが最近の自信作ですね。ブラウンとコニーがだるまになった!原宿と仙台、博多と、オンラインショップで販売されました。

「LINE FRIENDS DARUMA」LINE FRIENDSの人気キャラクター「ブラウン」「コニー」「サリー」がだるまになった!

 

だるま屋を継ぐ、ふたつの理由

ゆうな
すごいですね…渡辺さんはどうして、だるま屋さんを継ごうと思ったのですか?
渡邊さん
学生時代に白河にいたときは、「ああ、だるま屋の渡辺さんね〜」と言われたり。あだ名が「だるま」だったり。だるまを誰もが知っていて、普通にどこにでもある存在だと思っていました。しかし、東京の大学に入学したときに、まず白河だるまを知らないという人がほとんどで。自己紹介のときに「だるまって呼んでください」と言ったら、別に太ってもいないし、体格ががっしりしているわけでもなかったので、みんな「えっ?」ってなりましたね。理由を説明したら、みんな納得しました。けれど、都会に出てみると、白河だるまは誰でも知っているものではなかった。それまでは完全に井の中の蛙状態でした。東京の人は、だるまを知っている人でも高崎のものだと思っている人が多いので、まず白河だるまを知ってもらい、だるまといえば白河だるまだと思ってもらいたい。それが理由のひとつです。
渡邊さん
もうひとつは、「私が渡辺だるま総本店の14代目です。」と名乗れるのは、私か、私の兄だけ、ということです。いまからだるま屋を始めても、名乗れるのは初代。14代目を名乗るには、相当の時間がかかります。私の兄がだるまを継がない、ということを決めたので、では私が14代目をやろうと考え、だるま屋を継ぎました。

 

2月11日の「白河だるま市」に向けて、冬は製造のピーク

 

伝統と挑戦

ゆうな
伝統を継ぎながら、新しいものへの挑戦ができるようになったきっかけは何ですか?
渡邊さん
これも2つあります。まずひとつ目が、うちの家の教育方針で、「海外でも通用する人になれ」というものがあるのですが、それで大学1年生のときに留学をしました。留学先で出会ったのは、16歳くらいの女の子。その子は、ベネズエラの出身で、たった一人で親元離れて知らない場所で留学している。自分は19歳なのに、その子は16歳で、途上国から留学に来ている。ああ、ちょっと甘えてたな、と思いました。その子にはとても刺激を受けました。ああ、頑張らなきゃな、こういった人たちと戦わなきゃいけないんだなと。
渡邊さん
ふたつ目が、友達のツテで出会った変な社長さんとの出会いです。その変な社長さんは会うなり、「いまの自分にいくらの価値をつける?」と聞いてきます。ちょっと腹がたったんです、なんだこいつ、って(笑)私は大学生で、仕送りをもらいながら生活していたので「マイナスです」と言いました。そしたら次に、「自分はいくらの価値を生み出したい?」と聞かれました。そして僕はある数字を答えたのですが、すると社長は「じゃあ、その価値を生み出している人間は、どのように日々を送っているか考えてみろ」と言われました。ああ、確かに、そこまで考えていなかったな、甘かったな、と思いましたね。これが、ふたつ目のきっかけです。そこから勉強をし始めて、本を読んだり、だるまをどうやったら売れるか考えてましたね。

 

 

震災前後の変化

ゆうな
なるほど…東日本大震災前後では、なにか変わったことはありますか?
渡邊さん
震災前後は、需要が一気に減りましたね。だるまって、底のところに土を入れて、おもりにしているんですが、それが福島のものだから取引NGとか。だから、一時期からは新潟から土を運んで使っています。
逆にいい面としては、福島復興ということで、雑貨店のfrancfrancとコラボレーションさせていただいたりして、注目度をあげる機会が増えた、ということでしょうか。

 

 

これもだるま?

 

 

これもだるま!?

 

 

うれしいこと

ゆうな
だるまづくりで、嬉しかったことはなんですか?
渡邊さん
私は、だるまをインテリアとしても考えていて、そうするとやっぱり赤って派手な色で、部屋に置きづらいと思うんですよね。だから、ずっと部屋に飾れるものをつくろう、そう思って、模様や色を工夫してきました。そういう努力をしているので、縁起が良さそうという理由だけじゃなくて、かわいいと思って買ってもらった時が嬉しい時ですね。

 

 

この日はしっかりとだるまの絵付け体験もさせていただきました

 

ゆうな
今日はお忙しい中、私たちの取材に答えていただいてありがとうございました!

 

最後、私たちにおみやげをくださいました。

ゆうな’s 取材後記

ゆうな
はじめは、地元白河のだるまだったので、知ってることばかり話されるのかなと思っていました。しかし、話を聞いていると白河だるまの起源や渡邉さんの取り組みなど知らないことばかりで地元でもこんなにわからないことがあるんだと驚きをかくせませんでした。だから、この記事を通して県外の人はもちろん県内そして地元白河の人にもぜひ読んでもらいたいなと思いました。 ライターユウナさんの記事一覧

渡邊高章(Watanabe Takaaki)

白河だるま総本舗14代目

平成4年に福島県白河市に生まれる。
日本大学文理学部体育学科卒業後、
カリフォルニア州立大学サンディエゴ校ビジネスコースに入学する。
同大学卒業後、アッシュ・ペ・フランス株式会社rooms事業部に入社し、
平成28年10月から家業に従事する。

白河だるま総本舗 渡辺だるま店

住所

〒961-0047

福島県白河市八竜神98

 

営業時間

10:00~17:00
※体験受付は16:00まで

 

定休日

不定休

 

電話番号

0248-23-3978

 

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