農業を安定した職業にしたい。吉野家ファーム福島 滝田国男さん

こばしょう

こばしょう 高校生
ばっしー
白河市表郷地区で、農地所有適格法人・株式会社吉野家ファーム福島を立ち上げ、経営する滝田国男さん。なぜ、農業なのに株式会社? どうして、福島県で吉野家の農場を? 最後の村長とお聞きしたけど、どういうこと? 裏庭高校生ライターみんなで、白河市表郷に会いに行きました。

農業と学校の両立をした高校時代

ばっしー
滝田さんは現在60歳。16歳のときから農業を始め、現在は株式会社吉野家ファーム福島という農業生産法人を営んでいる。滝田さんが高校入学後すぐ、父親が病気のため入院。父親は比較的大規模な農業を営んでいて、その父の代わりに、いきなり滝田家の家業を担わなければならない立場になった。
滝田さん
高校を辞めないと、農業(面積にして水田2ha、養蚕0.5ha)はとてもやっていけないのではないか?と思いました。
ばっしー
滝田さんは学校を辞めなければいけないのではないか、という不安を抱えていた。その不安を担任の先生に相談したところ、担任の先生は校長先生のところに連れて行ってくれたそうだ。
滝田さん
家業である農業をしなければならいので、学校を辞めたいと、校長先生に伝えました。すると校長先生は「学校で実習をするために農業高校を選択してきたんでしょう?生徒にとって、農業はすべてが授業。家で農業をやっても、学校で農業をやっても同じ。だから、家で農業をやってから学校に登校してもいいですよ。」と言われました。これで、家で農業をやりながらでも、学校に通えると思いました。
ばっしー
農業は朝にやることの多い職業。当時滝田さんはバスで通学していたので、登校するのがどうしても1時間目の半ばになってしまっていた。父は大規模な農業を営んでいたので、少ない人手を補うため、当時(昭和47年/1972年)には珍しい、小型トラクターと田植え機を導入していました。農業機械のおかげもあって、父がいない状況でも学校に通いながら農業をやりとげることができたといいます。
ばっしー
滝田さんは、あくまで高校生活を楽しむつもりで高校に入学していました。その気持ちは父が入院してからも変わりませんでした。そして、滝田さんは高校時代から、途中で何かを辞めるのは嫌だと考えていたそうです。入学後すぐ入部したバスケットボール部は、1年夏から男子部員はわずか1人になってしまいましたが、後輩の入部の夢を壊さないために活動を続けました。新入生が8人入り大会にも出れるようになり、辞めずにバスケットボールを3年間続けたそうです。
ばっしー
農業の仕事をするため、学校生活は遅刻もあったが、最後の通知表は無遅刻無欠席。理解のある人に支えられた高校生活だったと、滝田さんは振り返っています。
ばっしー
滝田さんは、高校卒業後、専業農家になるつもりでいました。
滝田さん
高校2年生の冬に父が他界。その時に祖父から「専業農家では家計が不安定なので、勤めながら農業をやってくれたら滝田家としてもありがたい」と言われました。
ばっしー
就職先を探すことにした滝田さんは、公務員を目指すことに。まず、表郷村役場の試験を受けましたが、不合格。次に、農業の区画整理などを行う表郷村土地改良区という組織に受験し、合格。そこでは、行政の立場から、表郷村全域の農業について考える業務が多く、彼自身の農業に対する考えを深めるのに、役立ちました。滝田さんは、16歳のときから、農業と縁の切れない人生を歩んできたといいます。

高校時代から白河市表郷で農業を続ける滝田さん。事務所の壁には、表郷の農地の地図も。

「最後の村長」になる

あさぴよ
白河市との合併の是非を問うた住民投票で、表郷村民が出した答えは、僅差で「反対」。しかし同日開票された表郷村独自の住民アンケートでは、「賛成」。一日に両方の「村民の思い」を突きつけられた「最後の村長」滝田さんは、一体どんな決断をしたのだろうか。
あさぴよ
そもそも、なぜ滝田さんは村長になったのか。それは滝田さんが42歳のときまで遡る。当時、表郷村では長期にわたってトップに立っていた村長の交代を望む声が出始めていた。滝田さんもその一人で、村を何とかしなければと思っていた。しかし、子どもがまだ小さく、家族の反対もあり出馬を断念した。その代わり滝田さんを支持していた人に出てもらい、現職の村長に勝利。行政が変わっていくことに期待が高まった。しかし、思うような行政の変化は見られず、それならば自分が次期村長になる、そんな覚悟も持ち始めていた。

初登庁を伝える表郷村の広報紙

滝田さん
「このままじゃダメじゃないか!」と、村長室に直接、いまの気持ちを伝えに行きました。
あさぴよ
このまま変わっていかないのなら自分が次期村長になる、そんな覚悟も持ち始めていた。そして、村長選の数か月前。滝田さんの覚悟は決まった。家族の了承も得ることが出来、出馬。当選した。2003年、2月。滝田さん、46歳の時のことだった。
あさぴよ
そして村長を務めて1年たったある時、とある話が持ち上がる。「市町村合併」である。時は2000年代初頭、国の厳しい財政状況の改革と、地方自治体の行政の効率化を図るため、市町村合併が進められ、各自治体が次々に合併を決めていた時期だった。いわゆる「平成の大合併」である。そんな中、滝田さんも表郷村の村長として決断。将来の子ども達が安心してこの地で生活して行ける環境を求める事を選択肢として、周辺市村との合併協議会をスタートした。
あさぴよ
 そして、住民投票の日。滝田さんは合併をする方向で考えていたものの、次の日の朝刊の書かれ方次第では合併を取りやめることも考えていた。翌朝、支持者が朝刊を持ってきてくれた。いち早く結果を知るために。そこには、決して合併に否定的なことは書かれていなかった。「それならば」と、滝田さんはついに白河市との合併を決めたのだった。合併に伴って、表郷村という自治体はなくなり、若くして村長になった滝田さんは、表郷村”最後の村長”になった。在任日数989日。激動の日々だった。

「福島民報」2005年(平成17年)2月14日の電子号外。

「福島民報」2005年(平成17年)2月15日の朝刊。

そしてもう一度農業へ。これからの農業へ。

ゆうな
滝田さんは村長の職を終えた後、16歳からずっと携わっていた農業で何かできることはないのかと考えました。一般的に不安定な仕事だと考えられている農業。これを、安定して毎月お給料のもらえる仕事にしよう。いわゆる農業の法人化・会社にすることにしました。
ゆうな
2013年に、農業生産法人・株式会社吉野家ファーム福島がスタート。しかし、どうして吉野家なのでしょうか。
滝田さん
この時もいろんな人との繋がりのおかげで、縁があり、吉野家さんと関わることができました。生きていく中で1番重要なのは『人と人との繋がり』だと実感しました。
ゆうな
吉野家ファーム福島では、主にお米と、たまねぎや白菜、キャベツや長ネギ、白ネギなどを生産。
牛丼に添えるお新香や、うどんに入れるための野菜たち。2017年現在、関東・東北地区の吉野家全店で使用する野菜、月間使用量のおよそ半分の量を生産しています。白河市周辺の水田で、牛丼に使うお米も生産しています。
現在の社員は17人。自社農場では社員の皆さんが農作業を行います。一方で、地域の農家の方から、野菜を吉野家ファーム福島が買い取ることも。グループ会社に野菜の加工設備を備えているため、一般的な市場や協同組合に向けて販売するよりも、見た目や大きさの出荷基準、梱包面での制約がゆるやか。これまで市場向けに農作物を出荷することができなかった、地域で長年農業を営んできた高齢の農家さんたち。基準がゆるやかな出荷先である吉野家ファーム福島があることで、出荷を通じて収入を得ることができます。
現在、東京を含む関東・東北の吉野家では、2日に1回は吉野家ファーム福島産の野菜が提供されている月もあるそうです。
ゆうな
また、吉野家ファーム福島では、農業への理解を深めるために、農業体験も積極的に行っています。
滝田さん
理由はふたつ。ひとつは農産物はどのような過程でできていくのかを子供から老人までいろんな世代の人に知ってもらうため。もうひとつは、「福島の食材は安全だよ。」というアピールをするためですね。
ゆうな
毎年200人程が体験しており、主に首都圏から来る人が多く、約7割が高校生以下。表郷で栽培している農場の一角にキャベツや玉ねぎ、とうもろこしなどの野菜を植えて、どの時期でもすぐ農業体験ができる環境をつくっている。この体験を通して、体験した人は農業の大変さや楽しさを学んでいます。

農業体験、サツマイモの苗植えの様子

吉野家ファーム福島の壁に貼られていた感謝状

滝田さん
日本のこれからの農業のかたちを作り、次の世代の人に伝える。そのための手段で吉野家ファーム福島をつくり、経営と栽培両面で農業体験を行っています。
ゆうな
今後、吉野家ファーム福島が、雇用型の農業をする会社のお手本になっていくでしょう。

取材陣と記念写真を撮りました

滝田 国男 Takita Kunio

吉野家ファーム福島 専務取締役・管理本部長


こばしょう
県立東白川農商高等学校農林科卒業(現在の県立修明高等学校)。高校在学中は学校の理解があり、入院した父の代わりに農作業を行ってから登校する生活を送った。卒業後は表郷村土地改良区に約30年間勤務し、農業と行政を学んだ。2003年に表郷村長選に立候補し当選。2005年に白河市と合併するまで村長を務めた。その後、JA東西しらかわファームサポートで約3年間社長を務める。現在は若年層を中心に農業体験会を開催。地域の活性化を目指してお酒や菜種油などの特産品づくりに取り組んでいる。株式会社吉野家ファーム福島専務取締役・管理本部長。交通安全協会表郷支部長。表郷いいもの開発協議会会長等。

ABOUTこの記事をかいた人

こばしょう

大都会西郷村の出身です。ミーティングを覗いたらいつの間にか編集部員になっていました。楽しく活動していたらあっという間に受験生。現在は使い慣れたスマホを解約して、毎週EMANONで読書&お喋りLifeを満喫中。スマホなんて無くても生きていけるのだ。